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源氏物語の調度平安貴族の生活を垣間見る

 今年の大河ドラマは、平安時代の作家・紫式部を主人公とした「光る君へ」です。

彼女が書いた「源氏物語」は、世界中の人に読まれているロングセラー小説です。

ドラマの舞台は千年以上前の日本。ドラマの背景に映る平安貴族が日常で使っていた道具(調度)は、どんな名前で、どのように使うのでしょうか。


 上田市古里の和道さん所蔵の調度とともに、お正月らしい雅な世界へご招待します。(監修・和道)


物を置くところ

 厨子や二階棚は座右に置いて物を納め置くもの。厨子は下段に観音開きの扉のある袋棚があり、二階棚は袋棚がないだけ。いずれも黒塗りで蒔絵を施す、または紫檀地に螺鈿を施して装飾品ともされました。

 二階棚の上段には、香を焚くための火取り香炉、髪をくしけずる際に用いた泔坏(ゆするつき 米のとぎ汁の白水を入れた)。下段には唾を吐くための唾壺(だこ 装飾用が多い)、手巾などを入れる打乱(うちみだり)の筥を置いています。いずれも、ひとつには装飾の意味を持っていたようです。


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二階棚の左上階から時計回りに、火取り香炉・泔坏・唾壺・打乱筥遮蔽具


 大貴族は、寝殿造と呼ばれる大きな邸宅に住んでいました。

 採光・通風防湿のために開放的な住居でした。そのため、室内では風をよけ、人目を遮るための遮蔽具が必要だったのです。

 まず簾(みす)があり、身舎・廂・妻戸に二重に垂れるのが通例。青色に黒紋を染め出した絹で、四方の縁をとり、簾の上には帽額(もこう)という一幅の絹を引き渡し、これを巻き上げるための鉤(こ)という金具が付けられています。

 屏風は新羅(朝鮮半島南部)から伝来したもので、六曲を本来のものとし、高さ3尺、4尺、7尺(1尺は約30㌢)など大小数種ありました。人目を避けたり物を隔てるために使われました。また室内装飾として用いられ、使わないときは畳み寄せることができる便利なものです。

 壁代(かべしろ)は、壁の代わりに長押(なげし)から懸けた懸幕。丈は7尺から9尺、幅は絹7幅ぐらい。几帳に似た形をしており、表に朽木杉の文様を描き、裏は白絹のままとし、表には蝶や鳥を描いた広幅の紐が付けられています。広い場所を仕切るのに用いていました。

 几帳は、屏風のように移動自由。とくに女性にとっては、最も身近な遮蔽具として利用されました。土居という長さ1尺5分、幅6寸2分、厚さ3寸5分ばかりの台の上に、高さ3尺(または2尺・4尺)の2本の柱を立て、上端に長さ6尺(足3尺の場合)の手という横木を直角につけ、その手に5幅の帳を懸け、その一幅ごとに幅筋という幅の狭い紐を垂らしています。

 幅筋は帳の縫い目を隠すために起こったと考えられていますが、むしろ装飾の意味の方が強いかもしれません。

帳の裾には縫い目がなく、そのほころびから物品を出し入れしていました。


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奥が壁代、左手前が几帳(きちょう)、右側に屏風、貝桶


 貝合わせの貝を入れる六角形の桶。2個で1組になります。近世には嫁入り道具の第一の調度とされました。

 貝合わせは、平安時代末期から起こった遊び。360個のハマグリの貝殻を両片に分け、一片を地貝、一片を出貝といい、地貝はすべて甲を上にして伏せ、これに出貝を1個ずつ出して合わせ、対になる貝を多く合わせ取った人が勝ち。もとは「貝覆い」と言っていましたが、後に「貝合わせ」と混同されるようになりました。


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左側は鏡筥 右は唐櫛笥


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衣紋道で女性の装束を着付けているところ


写真提供 和道(上田市古里)

参考資料『平安貴族の生活』 有精堂編集部編 有精堂

    『平安時代の貴族の生活』 藤木邦彦 至文堂

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