戦国の英雄 村上義清の足跡を訪ねて
戦国時代の上田地域の英雄といえば、真田氏が知られていますが、それ以前にこの地域に勢力を張った武将・村上義清(むらかみ・よしきよ)も忘れることができません。11月3日(火・祝)、上田市上野で「第43回砥石・米山城まつり」が開かれますが、これも義清の伝説を伝えるイベントの一つ。これを機に、地域に残る「もう一人の英雄」の足跡を訪ねてみませんか。
●村上 義清

清和源氏の流れをくむ村上氏を率い、現在の坂城町を拠点にその勢力を東北信一帯に広げた武将。正確な生没年は不詳ですが、1573年に73歳で没したとされます。武田晴信(信玄)の信濃侵攻に激しく抵抗し、川中島合戦(1553~64年)のきっかけを作ったことでも知られます。村上氏の没落後、真田氏が上田地域に勢力を伸ばしました。
第43回 砥石・米山城まつり

11月3日(火・祝) 砥石米山城山麓(上田市上野)
見どころは義清が武田軍に見せた「白米伝説」の再現。武田軍による兵糧攻めのさなか、この城に立てこもった村上軍が馬に米をかけている様子を見せ、水が豊富にあると思わせて武田軍を撤退させた、という言い伝えにちなみます。祭りではこのほか、山の上にある城跡への登山や武者仮装、ステージイベントなども。
会場までは、JA信州うえだ上田東支所と、たぐち薬局から無料のシャトルバスが運行されます。
〈問〉実行委員会事務局・岩佐さん ☎090・2745・3566
上田原古戦場・石久摩神社周辺(上田市上田原)
スポーツ公園は、かつての激戦地だった!?

現在、県営上田球場やテニスコート、多目的運動場などスポーツ施設が集積する「上田古戦場公園」は、1548(天文17)年にあった「上田原合戦」の戦場です。信濃を支配下に置こうとした武田晴信の約8千人の大軍を、村上義清が約5千人で迎え撃ちました。武田軍は重臣を失った上、信玄自らも傷を負い敗退。信玄の数少ない負け戦の一つです。この歴史を伝えようと地域の有志が保存会をつくり、史跡の整備や小学校での歴史勉強会、5年に1度開催される「上田原古戦場祭り=写真」の運営などを行っています。祭りの会場である石久摩神社には、上田原古戦場の石碑が立っています。
10月11日(日)午後1時半から、信州上田原合戦太鼓30周年記念コンサートが上田創造館で開かれます(入場無料)。
葛尾城(坂城町坂城)
奮戦した義清の「最後のとりで」
千曲市との境に近い標高800㍍ほどの尾根にある山城で、村上義清が居城にしていました。強大な武田軍を2度も退けるなど、奮戦した義清でしたが、1553(天文22)年、ついに抗いきれず、最後のとりでだったこの城を自落させ、上杉謙信を頼り越後に逃れます。城跡は1974(昭和49)年に「村上氏城館跡」として県史跡に指定され、今も地域の人たちに親しまれています。
〈問〉坂城町文化財センター ☎0268・82・1109
●義清と村上氏のその後
義清は越後に逃れた後、上杉の客将となり、再び故郷に戻ることはありませんでした。
息子の国清は謙信の養子となり上杉氏の一門である「山浦」姓を名乗ります。
江戸時代、その子孫は水戸に移り、水戸藩士になりました。
坂城町の学芸員・本間美麻さんは「町内には他にも義清ゆかりの史跡が多くあります。
地域の誇るべき歴史として、次の世代にも伝えていきたいですね」と話しています。
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