「凍み豆腐」作りの伝統を守る/厳寒期の作業 製品はすぐ売り切れに
- weeklyueda2024
- 2024年1月27日
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浅科の「大池屋」三代目 高地 典子さん

佐久市の西部、旧浅科村矢島地区は江戸時代から凍み豆腐作りが盛んに行われてきた集落です。冬の晴天率が高く、昼は陽だまり、夜は氷室となる土地柄を利用した伝統の保存食品は、現代では健康食品としても注目されています。
農家の冬の副業で最盛期だった昭和30~40年代には、この集落だけでも約60軒で作られていましたが、以後は過疎化、高齢化が進んで現在では高地さんを含めて4軒に。

「豆腐小屋を使わないともったいないし、凍み豆腐作りが好きなんです」と朗らかに話す高地さんは、「大池屋」の屋号を掲げるこの家の三代目。ふだんは小諸市で農業を営み、冬の間、浅科の実家に通って凍み豆腐作りの伝統を守っています。幼いころから近くで手伝ってきた凍み豆腐作り。自分で作り始めたのは10年前から。亡き父親や同業の先達から作り方を教わりました。
一日の作業は朝の7時、ひと晩水につけた大豆を機械ですりつぶし、豆腐を作ることから始まります。切った豆腐を籠に並べ、屋外で一晩凍らせて「一夜凍み」と言われる凍み豆腐に。昔はこの一夜凍みをわらで編んで、屋根の下などにつるして1週間ほど凍結と乾燥を繰り返して仕上げていましたが、編み手がいない今は一夜凍みで出荷します。製品は佐久市塩名田の赤坂直売所などで販売していますが、丁寧に手作りした自然食品の評判は高く、すぐに売り切れてしまいます。消費者からの反応も、高地さんを支えています。
夜まで続く作業は体力が必要です。家族の協力を得ながら、きびきびと働いています。2月下旬まで凍み豆腐作りの日々は続き、それが終わると大池屋に春が訪れます。
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